初夏の岐阜 意外にハードなハイキング? ~岐阜城から関ケ原へ歴史巡りの旅③~
こんにちは!
いつもブログを見て頂いてありがとうございます!
今回も、岐阜歴史巡りの旅
関ケ原編③ラストです
②はこちら↓
藤古川ダムを抜け、座れそうな場所で休憩中のこうすけ
時間が微妙になくなってきたので、先を急ぎます
相変わらず、人はいません…
大谷吉継陣跡へ向かいます
再び山道へ
やっぱり山登りだな
⑦西軍・大谷吉継墓
陣跡じゃなくて墓だった
というか、墓残ってるのは珍しいのか
ここから、さらに山道を行き陣跡へ
⑧西軍・大谷吉継陣跡
もう少し行くと展望地があるらしい
展望地
手前がJR東海道本線
奥が東海道新幹線
新幹線は岐阜羽鳥という駅があります
山道を下り、JR東海道本線を渡ります
旧中山道を歩きます
旧中山道ってここまで来てたんだな~
21号線を渡り脇坂安治陣跡へ
名神高速道路をくぐります
⑨西軍(⇒東軍)・脇坂安治陣跡
この人、小早川秀秋が寝返って山降り始めたのを見計らって
寝返り、先に大谷吉継陣横へ突っ込んで行きます
おいしいとこ取りしようとしたのか?
まあ、数的に後ろに1万超の兵いて、一斉に寝返ったら
自分も寝返るしかないか
松尾山方面へ
登山口に到着し、いよいよ山登り開始
(今までも、普通に山登りだった気がするが…)
標高293mだし、大丈夫だろう
甘く見て山登り開始
10分後…
………
結構な急登で写真を撮る暇もなく、無言でひたすら歩く…
やっと、展望が開けた場所に…
ここで、夫婦の方を追い越す
あれ、奥さんヒール高いブーツで登ってるけど大丈夫か…?
40分後
やっとのことで、陣跡到着
⑩西軍⇒東軍・小早川秀秋陣跡
やっと着いた~!
この人、寝返ったとか色々言われてるが、
元々、豊臣家を良く思ってなかったが、毛利家を統率する小早川家の家督を継ぎ
毛利輝元の子と結婚していたので、西軍で参加せざる得なかったのです。
(西軍の大将は実質は三成だが、名目上の大将は毛利輝元)
【寝返りの背景】
秀秋の実父は豊臣秀吉の妻・ねねの兄です。
跡取りが生まれない豊臣家に養子縁組で入ります。
この時、まだ名前は羽柴秀秋
しかし、秀吉に待望の子・秀頼が生まれると秀秋は邪魔になりました。
ひ、ひどい…!
そこで、跡取りがいなかった中国地方の大大名・毛利家に養子縁組を持ち掛け、
(毛利家乗っ取りを恐れた毛利家の統率者・小早川隆景は自分の跡取りとして迎えることにしました)
結果、小早川家の家督を継ぐ事になります。
………
いや、そりゃ寝返りたくなるわ!
子供生まれて用済みだから、邪魔とか…
ちなみに、名目上の大将・毛利輝元は、自分は名前だけの大将だからと
大阪城からちっとも出てきませんでした…
せめて戦場には来ようよ…!
なので、しかたなく石田三成が大将を務めました
セルフで記念撮影
ちょっと、右の旗が邪魔だな…
そういえば、某テレビ東京の空港で外人追っかける番組で
夜松尾山登ってキャンプしてる人いたな~
こう見ると、
結構いい所に場所取りしたな、小早川秀秋さん!
しかも、東軍も西軍も見渡せる場所だし…
戦いの明暗握ってるわけだ
というか、毛利秀元もいい所にいるな
寝返ってなかったら、確実に西軍勝ってたような…
1人盛り上がりながら、いい時間なので昼食タイム突入
ゆっくりし過ぎ、気づけば14時過ぎ
急いで下山します
来た田んぼ道を戻り
⑪東軍・福島正則陣跡到着
東軍の先鋒やるはずだった人です
(実際は豊臣家家臣から東軍に参加した福島正則を良く思わなかった、東軍・松平忠吉が西軍・宇喜多陣営に向けて勝手に横やりを入れ、戦が始まってしまいます…)
東軍・藤堂高虎陣跡へ向かいます
あれ、看板の方向中学校の中だけど…
勝手に入っていいのか?
すごい綺麗な学校です
お、あった!
⑫東軍・藤堂高虎陣跡
ちなみに、歴史巡りルートになっている為、校門はありません
安全的に大丈夫なのか?
最後の陣跡、本多忠勝陣跡へ
住宅街の中でまた迷います…
道に気づかず、直進していたみたいです
⑬本多忠勝陣跡…?
結構探したが、陣跡の石碑が見つからず、とりあえず関ケ原与一さんの
墓を撮影
いや、行った事にしよう!
時間も結構ないし!
このまま駅に戻り、本数のない電車を待ち名古屋方面へ
なんとか、新幹線に間に合い無事帰宅
帰りの新幹線の中では、ビール片手に次の旅&山行を考える
急に思い立って決行した岐阜旅行だったが、
岐阜城や関ケ原古戦場など歴史を感じる事ができる場所に行けて
充実した2日間になりました。
関ケ原は意外にも人が少なかったが…
関ケ原歴史巡りってマイナーなのか…?
次は、伊吹山など山の方にも行ってみたいです。
(終わり)
最後までブログを見て頂いてありがとうございました!